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zoom RSS 遺跡発掘現場、クレオメ、不明の花、夾竹桃 そして 万葉集より抜粋

<<   作成日時 : 2017/06/08 21:07   >>

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最初に、この銅像ご存知ですか?
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私が居る高槻市内に有る高槻城跡にある銅像です。
デモ、これでもわからない方が多いでしょうねもう少し拡大してみましょうか?
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此の写真で、手に持っているのは十字架型の剣です・・・十字架➡キリシタン大名=高山右近ここまで言えば思い出していただけますか?
高山右近=戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。代表的なキリシタン大名として知られる。カトリック教会の福者。

父は摂津国人・高山友照、母は洗礼名マリア。同じく摂津国人の中川清秀は従兄弟とされる。

キリシタン大名として

天正10年(1582年)6月に本能寺の変で信長が没すると、明智光秀は右近と清秀の協力を期待していたようだが、右近は高槻に戻ると羽柴秀吉の幕下にかけつけた。まもなく起こった山崎の戦いでは先鋒を務め、清秀や池田恒興と共に奮戦して光秀を敗走させ、清洲会議でその功を認められて加増された。また、安土にあったセミナリヨを高槻に移転した。賤ヶ岳の戦いでは岩崎山を守るものの、柴田勝家の甥・佐久間盛政の猛攻にあって清秀は討死し、右近はやっとのことで羽柴秀長の陣まで撤退して一命を保った[注釈 4]。 また、この件で勝家への内通を疑われ、天正11年5月16日(1583年7月5日)には一時、居城・高槻城を攻められている(多聞院日記)。その後も小牧・長久手の戦いや四国征伐などにも参戦している。

右近は人徳の人として知られ、多くの大名が彼の影響を受けてキリシタンとなった。たとえば牧村利貞・蒲生氏郷・黒田孝高などがそうである。細川忠興・前田利家は洗礼を受けなかったが、右近に影響を受けてキリシタンに対して好意的であった。

友照の政策を継いだ右近は、領内の神社仏閣を破壊し神官や僧侶に迫害を加えたため、畿内に存在するにもかかわらず高槻周辺の古い神社仏閣の建物はほとんど残らず、古い仏像の数も少ないという異常な事態に陥った。領内の多くの寺社の記録には「高山右近の軍勢により破壊され、一時衰退した」などの記述がある。反面、『フロイス日本史』などのキリスト教徒側の記述では、あくまで右近は住民や家臣へのキリスト教入信の強制はしなかったが(実際に寺社への所領安堵状も受洗後に出している)、その影響力が絶大であったために、領内の住民のほとんどがキリスト教徒となった。そのため廃寺が増え、寺を打ち壊して教会建設の材料としたと記されている。

こんなことを長々と書いたのは先週の土曜日に高槻城跡の地下に豪雨対策として一時的貯水槽を作ることになってその前に遺跡を調査することになりました。その遺跡発掘調査の現地発表が有ったので出かけました。
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・・・・等で、参加してきました。(近頃の国会で審議されている法案の政府側の答弁のような歯切れの悪いものになりましたが今一つ目玉的な発見物が無かったもので期待外れでした。)
その帰りに見つけた花がこれです。
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クレオメ (西洋風蝶草)   フウチョウソウ科  フウチョウソウ属

学名: Cleome spinosa

原産地: 南アメリカが原産

一年草

高さは1メートルほどになります。葉は掌状複葉で葉柄があり互生します。小葉は長楕円形です。6月から10月ご>ろ、茎の先の総状花序に白色やピンク色、紅紫色の花を咲かせます。和名では「せいようふうちょうそう(西洋風蝶草)」と呼ばれます。




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この観葉植物の名前が解りません、観葉植物は苦手な植物の一つです。




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キョウチクトウ(夾竹桃)  キョウチクトウ科  キョウチクトウ属

学名: Nerium indicum

原産地: インドから地中海沿岸にかけてが原産

常緑低木

わが国へは江戸時代に渡来しました。高さは4〜5メートルほどになり、厚い皮質の葉を3個ずつ輪生させます。夏の間じゅう、枝の先に集散花序をだして、紅色の花を咲かせ続けます。花色にはピンク色や白色もあります。葉や樹皮には強心成分が含まれるため、食べると嘔吐や目眩、下痢などを起こします。




巻十九ー四一九九、作者:大伴家持、天平勝宝2年4月12日,遊覧,氷見,土地讃美

[題詞]十二日遊覧布勢水海船泊於多祜灣望見藤花 各述懐作歌四首


藤奈美乃  影成海之    底清美   之都久石乎毛  珠等曽吾見流
ふぢなみの かげなすうみの そこきよみ しづくいしをも たまとぞあがみる


<大意>
藤波の 影なす海の 底清み 沈く石をも 玉とぞ吾が見る


[tabibito的解釈]
藤の花が影を映している水海の水底までが清く澄んでいるので、沈んでいる石も真珠だと私は見てしまう。


<一言>
天平勝宝二年四月十二日に、布勢の水海に遊覧した時に、多祜[#「示+古」、Unicode: 795C]の浦に舟を泊め、藤の花をはるかに見て、それぞれの人が思いを述べて作った歌四首のうちの一首目。大伴家持の作。

多祜の浦: 富山県氷見市にかつてあった布勢の水海の東南部。国道160号の沿線で現在の上田子地区・下田子地区一帯を指すと思われれる。奈良時代、この付近が布勢の水海の海岸線で、田子地区の丘陵が岬となって水海に延びていたのであろう。下田子の地に万葉の歌にちなんだ「田子浦藤波神社」がある。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
先日、新聞で高槻城の記事を読んだところです。摂津のあたりに、キリスト教が広まっていた時期があったのですね。遺跡から、陶器や鉄器のかけらなどは出てこなかったのでしょうか?
般若苑
2017/06/10 19:39
般若苑さまへコメントに気持ち玉も有難う御座いました。
今回の高槻城跡発掘は豪雨時の一時的な排水・貯水施設としての暗渠的構造物を作るもので面積としては約2,600uを発掘しただけなので古い遺跡としては鎌倉・室町時代の集落遺構が少しと豊臣秀吉が京都に築いた聚楽第で使われた軒平瓦と同じ唐草文様の掛け平瓦がわずかに金箔が残った状態で出土した以外は生活遺跡はあまりありませんでした。
勿論慶長小判も出なかったようですよ。
(出てきたけれど内緒にしているのかな?)
tabibito
2017/06/11 21:16

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